なぜ日本に来たのか?

バスフィッシング 全体を考える上で基本となるのは

そもそもなぜブラックバスが日本に入って来たのか?


という事から考えたいと思います。


Wikipediaより引用

”1925年、実業家赤星鉄馬がアメリカのカリフォルニア州 (Santa Roza) からオオクチバスを持ち帰り、箱根の芦ノ湖に放流したのが最初とされる(約90匹)。これは食用、釣り対象魚として養殖の容易な魚であることから、政府の許可の下に行われた試みだった。”


きっかけは人間の手により放流された。

という事ですね。


なぜそれが日本中に広がったのか?


Wikipediaより引用

”1930年代、長崎県白雲池(1931年)、山梨県山中湖(1932年)、東京にある私邸の池(1933年)、群馬県田代湖(1935年)、兵庫県峯山貯水池(1936年)などへ試験的に放流
1936年、この時期までオオクチバスの分布は5県。”


試験的にいくつかの県で放流が行われたようです。


その後

”1970年代、魚食性が強いため、生態系(在来生物層)への影響およびこれによる漁業被害が問題視されるようになり、漁業調整規則で無許可放流が禁止されるようになったが、その後も人為的な放流により生息域を拡大。”



最初の放流から40年たって

魚食性が強いという理由で無許可放流が禁止になります。

現在も同理由で様々な地域で害魚扱いを受けています。


私たち釣り人にとってはあのアグレッシブに魚を追い

自分の体よりも大きいルアーに果敢にアタックしてくる

ブラックバスの強さに惹かれ釣りにはまっておりますが

昔から地域の漁業で生計をたてて

日本古来の鮎などをとって生活をしていた漁師さんたちにとっては

自分たちの商売に必要な魚を果敢に食べてしまう

ブラックバスはただの害魚でしかないのも事実ですね。



簡単に流れをまとめると

人間によって様々な地域へ放流→様々な理由で放流していない水域へと広がる

→魚食性が強く在来の生き物に悪影響があると気づく

→放流を禁止する→時すでに遅く全国に拡散、問題になっている。


という事ですね。

簡単に日本にブラックバスが広まった経緯をまとめてみました。

まあ、釣りをやっている人は知っている事かもしれませんが

改めて。


そもそもきっかけとしては人間が作ったというのも

今の背景を物語る事実かもしれません。



look into the future

小学生の頃に出会ったバスフィッシング。 20年以上たった今も変わらず私を虜にしています。 しかし、今後もこの最高な趣味を続け 後世に残していくためには”今がよければいい” というそんな事ではダメたと思いサイトを立ち上げました。 外来生物駆除や各フィールドの環境や地域との問題等 山積みですが、このサイトをきっかけに 微力ですがいい方向に進んでいけば・・・。 私の願いです。

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